マリスト共学化以降の関係年表



1999年 8月19日 新聞報道にて「熊本マリスト学園共学化」の記事が掲載される。
            背景には少子化による生徒数減という切実な問題があった。
            各地に大きな衝撃を呼ぶ。

      9月11日 学園祭にて女子の制服がお披露目される。
            大盛り上がりだったもよう。

            女子トイレや教室など校舎改築が始まる。


2000年 1月31日 男子校時代最後の卒業式(37期)

            共学化後、初の入学試験
            男子、女子ともに入学志願者が殺到する。
            当初予定していた2倍以上が入学し、大パニック。
            急遽、教室を3室増床。
            県の教育委員会の指導が入る。

      4月10日 共学校として初の入学式
            高校312人(うち女子123人)、中学120人(うち女子44人)が入学する。
            県外出身者が減る。特に沖縄出身者は学年で2〜3人程度。

      9月 9日 共学化後、初の学園祭
            純礁団が不知火団に吸収合併され、事実上消滅する。
            エイサーは無形文化財として伝承される。


2001年 1月27日 卒業式(38期)

      2月 3日 初代校長ブラザー・パトリック・フランシス逝去する。

            共学化後、2回目の入学試験
            前回のような混乱は起こらず。

      4月    入学式

            大学入試の結果が惨憺たる有様に終わり、共学化問題が再燃する。
            マリスト理事会で校長の責任問題が問われる。


2002年 1月30日 卒業式(39期)
            男子校時代を知る最後の世代が卒業する。

            マリスト理事会で森校長の退任が可決される。

      9月 7日 学園祭

            同窓会、マリスト会、シャンパニア会による森校長留任の署名運動が始まる。
            署名運動の結果、マリスト理事会で森校長の1年の留任が決まる。


2003年 2月 1日 卒業式(40期)
            女子の第1期の卒業生が誕生する。

            同窓会、マリスト会、シャンパニア会有志によるマリストファミリークラブが結成される。

      6月 4日 マリストファミリークラブの懇談会でマリストファミリークラブ側が下記の要望を理事会側に提出する。
             1.数名の同窓生代表を理事会へ参加させること。
             2.マリスト会会長を評議員の1人として加盟させること。
             3.理事会や評議員会へ女性を参加させること。
             4.理事会・評議員会を学内で開催すること。
            理事会側はこれを許諾する。

      9月 6日 学園祭


2004年 1月31日 卒業式(41期)

            森校長の退任。
            古参の先生方の退任相次ぐ。

      4月    入学式
            伊東新校長の就任。

      9月11日 学園祭
            「30期のイシガヤ」トウモロコシを焼く。


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